名古屋市の西区の歴史などについて、詳しく解説するサイト『名古屋市西区の歴史探索』

●●●枇杷島橋●●●

【栄生稲荷社】

庄内川に架かる枇杷島橋方面には栄生稲荷社があります。
栄生稲荷社は近隣の人の信仰も厚く、鳥居やのぼりが多数立っています。

【中島黒體龍王大神社】

中島黒體龍王大神社は、中島黒體龍王大神という龍を祀っています。
もともとは西枇杷島町下小田井中島という場所にあったそうです。
慶安年間のそこが枇杷の洲と呼ばれていた頃、立穀豊穂の祈願をすると夢で龍神が出現し、
「国土鎮護豊穣を守る」との言葉を残しました。
人々はそれを喜び、この神社を祀ったのです。
さらに1789年、木曽御獄を開山した行者覚明がこの地へ巡行にやってきた際、大雨で
庄内川にかかる橋が流失してしまい困っていると、金色の大蛇が現れ対岸へと運んでくれた
という話もあります。
覚明は後にこの神社を改修したのですが、中島は庄内川の改修とともに無くなってしまった
ため、1953年にこの地に移転しました。
ご利益には家内息災、商売繁盛があるとされており、手洗い場には黒く光る龍の姿が、本殿
にはとぐろを巻く蛇の姿が見られます。

【枇杷島河原】

枇杷島河原も現在では整備されているため、それほど河原らしい場所を見ることはできま
せんが、かつては広大な枇杷島河原が広がっていました。
清須や那古野で河原といえば、ここ枇杷島河原を指すほどだったそうです。
幼名を吉法師と称した織田信長も、近所の子供達とこの河原で遊んでいたのです。
河原で遊ぶ子供達には中村の稚児集団もおり、その集団の中には幼き頃の秀吉もいました。
子供達は庄内川で魚を獲り、枇杷島や清洲まで売り歩いていたそうです。